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「永遠平和のために」を読む8

kanto9



永遠平和のために」を読む8

第2章
永遠平和のために必要なこと。

その1 「どの国であれ、市民のあり方は共和的であるべきである」

 この項は正直、何度か読み返しても、理解が及ばない。
 ここでカントが言いたいのは「共和的なあり方は、もともとが純粋であり、法の考え方の根っこから出たことであって、そのうえ永遠平和という願わしい見通しをそなえている」ということだと、何となくではあるが、かなり確信的には思う。
 ところが、この項のすべてを理解することができないのだ。カントのように共和的なあり方に心酔した頭である必要があるのかもしれない。

 その理由の一つとして考えられるのが「共和的なあり方は、民主的なあり方ではない」「民主制は必然的に先制になる。というのは民主制の行政権のもとでは、一人(同意しない者)がいても全員の賛同とひとしく、その結果として、全員ではない全員が決めていくことになる。これは一般の意志といわれるものそれ自体の自己矛盾であって、また自由とも矛盾をきたしている」と、民主制を否定するかのような見解が述べられていることにある。

 なるほど、カントに言わせれば国民すべてが意志決定に参加し、すべてが賛成したことだけを行政で実行するのが民主制ということかもしれない。しかし、カントが否定するかのような考えに至ったのも、それがどだい無理な話だという実現性の観点からではないかとも想像できる。

 それでも理解を妨げているのが、戦後日本が民主国家だと(疑問を覚える出来事に何回となく遭遇したことがあるとはいえ)植え付けられてきた「常識」なように思える。では日本の民主主義とは何なのか?この答えが、出てこない。何しろ、日本国民は公民権、選挙権を保障され、(民主的な)選挙によって国民の代表となった代議員(衆議院議員は代議士というが、参議院議員は呼ばれないため)が立法を司り、その国会で選ばれた首班が行政のトップになっている。

 これはある意味、カントのいう共和制と何が違うのかという整理が明確に付かないジレンマがある。何となく、氷解しそうなところを感じながらも、はたしてこんな段階でここに書いていいかと思うレベルなのだ。いっそのこと、今の日本は民主制という常識を捨てて、そもそも共和制だったと認識を改めればいいのか。

 どなたかに教えを請いたい。

テーマ : 紹介したい本
ジャンル : 本・雑誌

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Re: 「永遠平和のために」を読む8

そうですね、僕も同じで理解できませんでした。
共和的って言う事がどういう事かが理解出来ないのです。
日本での民主制しか知らない僕にはもともと理解の範囲を超えてしまってるのかもしれない。

国民全員が政治に参加し意見を交えて理解を得、全員が納得賛成する事が理想だと思う。
それを実現しなければならないって事だろうか。

また時間を置いて何度か読み直してみようと思ってます。

Re: 「永遠平和のために」を読む8

yoshiさん、国という集合体が大きくなると、カントの言う民主制が実現不可能になっていくのは分かるような気がします。
目視で数えて数えられるような規模であれば、民主制はできるんでしょう。
でも同じ国家にいながら、一生、会うこともない人が大多数という規模では、意思統一を図ることは困難なんでしょう。

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